クラフトファーができるまで。(2)【糸繰り(コーンアップ)】
トピックスで連載中のクラフトファー(フェイクファー、エコファー)が生地になるまでの工程を
お伝えしています。
今回は、第2回目。おおまかな工程として以下の順に生地を作っていきます。
1.原糸の染色
2.糸繰り(かせ繰り、コーンアップ、糸巻き)
3.丸編み工程
4.テンターと呼ばれる生地の延伸工程、糊付工程を経て毛割り・シャーリング
5.生地へのプリント(後染め、柄物の場合)
前回は「原糸の染色」で木下染工場さんの手仕事についてお伝えいたしました。
真っ白な糸が噴射染機で染まっていく圧巻の様子は織物産業に携わっていないと見ることのできない景色。
今回は、糸繰り(かせ繰り、コーンアップ、糸巻き)染色された毛糸をコーン状の紙菅に巻く作業で
専用の機械は日本でも最近では珍しくなっているそうです。※以下、糸繰り。
そうして考えるとクラフトファー(フェイクファー、エコファー)では貴重な機械が沢山使われているなと
実感しました。
レトロなボタンは、ついつい押したくなりますが我慢。
専門的な仕事なのでキチンとした専用の工場があるのかと思いきや、自宅横の倉庫のような場所で
されている方が多いという事実を伝えると驚かれることが多いです。
高野口パイルで栄えてきた地域だからこその文化なのですね。
糸繰りの職人
ご紹介するのは、脇田さんです。
糸繰りをはじめたのは約2年前。
ん?思ったより短い。と思いましたか?
実は脇田さんは元々織り屋(ジャガード)で勤めており、62歳で仕事を辞めて自身で運送屋として
15年ほど営んでいたそう。
その時に心臓病を発病し闘病したりと大変な時期も経験。
運送屋をたたんでからは思うままにゆっくりと自由に過ごしていましたが、そんな日々にも飽きてきた頃に
丸編み工程をしている辻本さんから「この仕事をやってみないか。」と声がかかり、今に至ります。
最初は、慣れないことで思ったように上手くいくはずもなく意地になって取り組み
眠れない夜があるほどだったといいます。
コツを掴むまで糸繰りを研究する大変な毎日が続きましたが、またこうして「やりがい」ができたことは、
とても嬉しい。と笑顔で語ってくれました。
糸繰り作業
黒く染め上がったかせ糸。よく見てみると青い紐のようなものが付いています。
これは紽(ひびろ)といって、簡単に言うと糸がバラバラにならないよう小分けしてこれを紽(編糸)で軽くくっています。
冒頭にお伝えした通り、かせ糸のままだと糸が絡んで編むことができないため、糸がスムーズにでるよう紙管に巻
き取ります。それを「糸繰り」と言います。
かせ糸の「あや」と呼ばれたりする糸道があり、枠にセットする際にあやを出す事で
糸繰りがスムーズに進みます。「はじめた頃に一番苦労した作業でもある。」と今度は
苦い顔で語ってくれました。
気温や湿度で糸の状態も変わってしまうので、糸との対話が大切。
しばしば糸が途中で切れてしまうことも。
すかさず脇田さんが切れてしまった糸を結び、またカラカラカラと高速回転する機械。
テキパキと作業をこなして、職人だな。としみじみ感じながら見とれていました。
そうこうしていると、木下染工場さんから新たな糸が運ばれてきました。
これから少しオフシーズンに入るので量も少なめ。
と言っても、秋冬のオンシーズンの前にあたる夏頃にはまたどんどん糸が運ばれてくるそうです。
今や職人となった脇田さんにすれば「いとも簡単」とまではいきませんが季節の風物詩のような感じで
忙しさを楽しんで糸繰りをしているとのこと。
どんなこともポジティブに考える気持ちを見習って行こうと思います。
産業を支えてくれる地元の方々
脇田さんの他にも糸繰りをされている方はいらっしゃいますが、その数は年々減っていくのが現状です。
ここ和歌山県橋本市高野口町は「高野口パイル」で栄えた町なので、ひと昔前までは商店や人口等も多く
活気あふれる町で織物や繊維関係の工場もたくさんありました。
人手不足も深刻化していくなか、脇田さんのように糸繰りをはじめてくれる方がいることに
感謝の気持ちでいっぱいです。
脇田さん、お忙しいなか撮影とインタビューに協力していただきありがとうございました。
年齢関係なく「新しいことに挑戦された」というお話に心打たれ、中野メリヤス工業も
いつの時代になっても前を向き、日なたの道を歩けるよう挑戦し続けます。