高野口パイル織物資料館に行ってみよう!
今回は高野口パイル織物資料館についてご紹介いたします。
JR高野口駅から徒歩2分ほど歩くと見えてくるのが、ひっそりと佇むレトロな建物。
こちらは元々、布を検査する為に大正くらいに建てられた場所だったそうですが昭和61年10月にパイル織物
110周年記念事業として歴史を伝える資料館に生まれ変わりました。
見学は無料で、館内では高野口パイルの歴史だけでなく特殊な裁断機や製品の展示もされています。
やや昭和レトロな雰囲気が私たちには懐かしく、若い世代からすると新鮮で新しく感じるかも知れないですね。
パイル織物の元祖、西織(さいおり)
高野口パイルの歴史にとって、はじまりのストーリーとなる重要な「再織(さいおり)」について
サクッとお伝えしますね。
高野口は江戸の頃より木綿織物で栄えはじめ、明治10年に高野口町の「前田 安助氏」によって創案されたとされる類のない特殊織物「再織(さいおり)」は、カーテンやテーブルクロス、壁掛として製品化され日本だけでなくアメリカにも輸出され海外でも人気を博しました。
その後も研究を重ね日々進化し続けた織物は大正時代に、西山 定吉氏によりシール織物が考案され機械の導入もはじまり、量産可能な時代を経て昭和、平成、令和へと続きます。
再織のお話に戻りますが、そもそも「再織」とは?ってなりますよね。
再織とは?
「再織」はシェニール織とも呼ばれます。
なんとなく聞いたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?
ブランドですとドイツのFEILER(フェイラー)のハンカチが有名ですね。
二度の製織工程で作られ表も裏も同じ多色柄が特徴。「再び織る」ということから「再織(さいおり)」といいます。元々の歴史は18世紀末にスコットランドで生まれたので、その元祖とも呼べる国のスコットランドから明治時代に高野口に伝わったなんて本当に信じられないですよね。
高野パイル織物資料館の貴重な展示物
明治時代に使われていた「二重糸巻機」や天皇陛下へ献上したテーブルクロスも展示されています。
「高野口パイル」というのはフェイクファー(クラフトファー、エコファー)だけでなく多種多様。
一番みなさんの身近にあるのは、アパレルやぬいぐるみ(フェイクファー)電車、観光バス等の車輛用シート、毛布(ベロア、モケット等)になると思います。最近では金華山織(パイルジャカード)のバッグも人気ですね。
資料館では再織からはじまり、時代とともに進化し様々な分野で活躍している高野口パイルの歴史を展示品を通して知ることができますよ。
再織体験と教室
実は高野口パイル織物資料館では「再織」の体験だけでなく、再織教室が毎週火曜日、木曜日(どちらか)で行われています。ちょうど撮影に伺った日は火曜日で、先生や生徒の方ともお話することができました。
可愛いケーキのハンカチを作っている方は「お孫さんへの誕生日プレゼントに作っている」と笑顔で教えてくれました。
みなさん真剣な眼差しで織っているかと思えば「わはは」と、ときどき談笑。
教室の雰囲気はとっても和気藹々としていて、私も参加したくなりました。
クッションカバーやバッグ、巻き物(ストール)などなど、みなさん思い思いの作品を自分用や贈り物として
自由に「ものづくり」を楽しんで再織の素敵な作品が出来上がっていました。
ちなみに、基本的には自分の作りたいものを好きな柄で織ることができるそうです。
体験や教室に興味がある方はお気軽に「紀州繊維工業協同組合」までお問い合わせくださいね。
(体験は約2時間程度)
高野口パイルのこれから
パイル織物(シール織物・シールメリヤス)の日本一の生産高を誇る高野口ですが、フェイクファー(クラフトファー、エコファー)の産地であること自体を知っている方というのは、地元和歌山県でもほんの一握り。
生地としては日本だけでなく、世界中で使っていただいておりトップメゾンからも指名買いをしていただくほどの品質です。私たちはその品質を守り紡ぐために、これからの「未来」の高野口パイルについて考えないといけない岐路にいるのではないかと最近感じています。
この想いについては、次回のトピックスにてお伝えいたしますね。
きっと皆さんの身近なところにも高野口パイルは使われているはずです。
電車に乗った時なんかに「もしかして高野口パイルかな?」なんて、ふと日常で思い出してもらえたり興味を持っていただければ嬉しいです。